平安時代の文学の巨星、紫式部。その名前は『源氏物語』でよく知られ、今でも国内外で高く評価されています。

ただし、紫式部の本名についてはなおも謎めいています。

この記事では、その本名に迫ると同時に、大河ドラマ光る君へ』で使用された名前にも焦点を当てます。

また、当時の文学界では女性が本名を慎重に扱っていた事情や、源氏物語に登場する人物たちの名前の由来にも迫っていきます。

紫式部の本名、「光る君へ」と同じく「まひろ」?

紫式部は平安時代中頃の人物で、生没年は不明ですが、973年(天禄4年/天延元年)頃に生まれたと考えられます。

1005年(寛弘2年)頃には、「一条天皇」の后「藤原彰子」に仕えました。『源氏物語』は、出仕前から執筆が始まり、彼女の日記『紫式部日記』からは当時の男性たちも読者であったことが窺えます。

現代において、『源氏物語』は国内外で高く評価され、紫式部は日本で初めてユネスコの「偉人年祭表」に名を連ねました。

国内外で名高い紫式部ですが、その本名は判明していません。大河ドラマ『光る君へ』では「まひろ」という名前が使われていますが、ドラマ制作統括の内田ゆきさんによれば、「まひろ」は個性的な主人公にふさわしい名前として選ばれたそうです。

紫式部の名前の由来

紫式部は以前、「藤式部」と呼ばれていました。これは彼女の名字が「藤原」であり、父親である藤原為時が「式部丞」という役職にあったためと伝えられています。

なお、「紫式部」の「紫」は、『源氏物語』の登場人物である紫上に因んで名付けられたと言われています。

紫式部の本名が不明な理由

紫式部以外にも、平安時代の女性作家たちの本名は分かっていません。

清少納言や藤原道綱母なども同様で、当時は本名(諱)を非常に慎重に扱い、親しい関係者以外には使用されなかったとされています。

宮中で働く女性たちは家族の官職名を使った通称で呼ばれ、本名の記録は残っていません。紫式部の本名が「香子」であるとの説もありますが、これは未だに確定していません。

大河ドラマ「光る君へ」(源氏物語)のストーリー

『源氏物語』は主人公の光源氏の生涯と恋愛を描いた作品で、54巻にわたり以下の3つの部分に分かれています。

  1. 『源氏物語』第1部
    光源氏の誕生から39歳までが描かれ、父親の后への思慕と密通、様々な女性との恋愛、政界での波乱などが綴られます。
  2. 『源氏物語』第2部
    異母兄の娘である女三の宮が登場し、彼女の柏木との密通や紫上の死去、そして光源氏の出家が描かれます。
  3. 『源氏物語』第3部
    光源氏の息子薫と孫匂宮を中心に物語が進展します。

なぜ、大石静氏は吉高由里子を紫式部にしたのか?

「この企画をNHKさんが示された時に、パッと1番に吉高さんに引き受けてもらいたいと思いました」

大石静氏は吉高由里子さん主演ドラマ「知らなくていいコト」(2020/日本テレビ系)でタッグを組んだ過去を回顧して、次のようなコメントをしました。
「その時もすごく思っていたんですけど、控えめな感じと奔放な感じ、頼りない感じとすごく意思のある感じが1人の中にものすごく同居していて、珍しいなと。女優さんって1つの色になる方が多いんですけど、そういう色んな顔になるところが本当に素敵だなと思ってまたご一緒したいなと思っていた」

また、大石静氏は紫式部の中にあり「陰(いん)」を意識したと言います。弾けた明るさの裏に、紫式部に通じる寂しさがあると感じたことが、吉高由里子さんに役を託したと。
それに対して「根暗だとばれてるんだな。最近は陽キャラでやらせていただいているんだけど」と、吉高由里子さんは答えました。
(読売新聞2024年1月1日)

まとめ

平安時代に輝かしい文学を生み出した紫式部。その名前は『源氏物語』を通じて、長い間受け継がれています。しかし、彼女の本名については不明な点が多く、歴史の中で謎めいた存在として今もなお語り継がれています。

大河ドラマ『光る君へ』で使われた名前についても、制作者の意図や背景に迫ることで、紫式部の人物像が一層深まります。

文学の歴史において輝かしい1ページを刻んだ紫式部と、その名前にまつわる謎に思いを馳せることで、平安時代の魅力を再発見することができるでしょう。