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決戦前夜の今川義元決戦前夜の今川義元

豊臣兄弟!第3話あらすじ

桶狭間の戦い「決戦前夜」

清須に着いた三人は、まず浅野長勝(演:宮川一朗太)の屋敷へ。
(演:白石聖)は娘の寧々(演:浜辺美波)に仕えることになり、小一郎(演:仲野 太賀)は兄・藤吉郎(演:池松壮亮)の粗末すぎる借家で新生活。格差社会、戦国すぎて泣いた!

夜更け。

藤吉郎が小一郎に打ち明けたのは、まさかの仇討ち計画
父・弥右衛門は戦で手柄を横取りされ、無念の死。その相手は槍の達人城戸小左衛門(演:加治将樹)。強い、しかも同じ織田の武士。正面突破は無理ゲー。戦の混乱に賭けるしかない兄弟、切なすぎて……。

時は1560年5月。今川義元(演:大鶴義丹)が25,000の大軍で尾張へ進軍との報。

清須城は大混乱。籠城か、出陣か。軍議では佐久間信盛(演:菅原大吉)、林秀貞(演:諏訪太朗)、柴田勝家(演:山口馬木也)らが大激論。

しかし当主織田信長(演:小栗旬)の結論は一言。「何もせぬ」。そしてまさかの宴開催。家臣ドン引き。信長、胆力お化けすぎて草。

一方、藤吉郎は父の仇が取れなくなると焦り、信長に直談判へ。しかし勝家に門前払い。そこに転がる草履。城戸のものかと思い、盗もうとした瞬間、信長登場。

わしの草履を知らんか?」空気が凍る。

藤吉郎は即答。「温めておきました」。天才対応すぎて震える。小一郎もすかさず、トンビが低く飛ぶ=雨の兆しと説明。信長、空を見上げて大笑い。器デカすぎ問題。

その後、出陣しないのかと食い下がる藤吉郎。しかし逆に「勝つ策は?」と問われ、沈黙。代わりに小一郎が「和睦」を提案。これに信長ブチギレ。「たわけが!」。平手打ち炸裂。

志なき者は失せよ!」との信長の言葉が重い。。負けると分かっても戦う覚悟、それが侍。説教が刺さりすぎて心に槍。

打ちのめされた小一郎に追い打ちをかけるのが直の一喝。
あんたは利口だから、勝てない相手には最初から負けを認めるようになった。
負けたくないって、負けるよりも、そっちの方が傷つかないからね。
そうやって格好つけてるだけ。
本当はでらあ悔しい癖して。
だから身分が低くても、そこからはい上がれるお侍になって見返したかったんでしょ。
あんたは下克上に魅せられたんじゃ。
それなら今戦わなくて、いつ戦うんじゃ。
あんたが侍になったんは、あんた自身のためでしょ。」

逃げ道を全部塞いでくる直、強い!さすが!小一郎に心寄せる直!——この言葉「豊臣兄弟」のテーマ!

その夜、戦況が一変。
今はまだ今川義元の家来、松平元康(演:松下洸平)が大高城へ兵糧入れ、丸根砦鷲津砦が危機に。

信長、ついに決断。「出陣じゃ…!

雨は上がり、月が冴える夜。足軽たちの中に現れたのは、甲冑姿の小一郎。腰にはあの刀。兄を見据える眼差し、覚悟完了。

果たして、この出陣は奇跡破滅か?次回、歴史が動く瞬間を見逃すな!


時代を超えて江戸を伝える語り部
時代屋こはる
江戸の粋と人情に恋した「時代屋こはる」。ドラマの情景を鮮やかに描き、笑いと涙を織り交ぜながら、今に蘇る歴史の物語を語り継ぐ。時にツッコミ、時に胸アツな筆さばきが自慢。歴史好きの皆さまに「そう来たか!」と言わせる快作に挑戦中。

以下、「NHK豊臣兄弟![用語解説]」向けに、やさしく丁寧にまとめます(です・ます調)。

豊臣兄弟!第3話の解説

桶狭間の戦い

桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)は、1560年(永禄3年)に起きた合戦です。
駿河(するが)・遠江(とおとうみ)などを持つ今川方が大軍で尾張へ入り、尾張の織田方とぶつかりました。結果として、織田信長が今川義元を討ち取り、戦国の流れを大きく変えたことで有名です。

信長の戦略はいくつあった?

「これしかなかった」というより、当時の信長には大きく分けて複数の選択肢がありました。代表的には次のような考え方です。

  • 籠城(城にこもって守る)
    城と砦で時間をかせぎ、相手の動きを鈍らせる考え方です。
  • 野戦(外へ出て戦う)
    相手の動きや弱点を見て、こちらが有利な場所と時で勝負する考え方です。
  • 先に小さく切る(前線の砦などを奪い返す)
    いきなり本隊同士でぶつからず、要所を取り返して相手の形を崩す考え方です。
  • 奇襲(不意を突く)
    相手が油断した瞬間や、守りが薄い所をねらう考え方です。

ドラマで「何もせぬ」と言いながら動くのは、「相手の思うつぼの動きをしない」ための見せ方、と理解すると整理しやすいです。

信長が出陣に出た理由

信長が出陣を決めた理由は、1つではなく、いくつも重なった結果だと考えると分かりやすいです。

  • このまま待てば、じり貧になりやすいから
    相手が大軍で押し続ければ、砦が落ち、味方が動揺し、守りが苦しくなります。
  • 今川方が「動いている最中」で、すきが生まれやすいから
    兵が分かれていたり、補給や移動で手が回りにくかったりします。
  • “勝てる形”を作れそうだと見たから
    地形や天候、相手の油断など、条件がそろう瞬間が来たと判断した可能性があります。
  • ここで引けば、主君としての求心力が落ちるから
    「戦うべき時に戦う」姿勢は、家臣をまとめるうえでも重みを持ちます。

要するに、「不利でも動かなければ終わる」「今なら勝ち筋がある」と見て、勝負に出た、という理解が近いです。

桶狭間の戦いの時の藤吉郎の身分は?

桶狭間のころの藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、まだ大名や武将として名が通る前の段階です。
一般に、織田家の中では下の立場で、前線で働く側に近い存在でした。

用語としては、次のようなイメージが分かりやすいです。

  • 足軽に近い働きもする実務役
  • 身分は高くないが、気配りと行動力で目立ち始める時期

ドラマは人物を分かりやすく見せるために、役割を強調することがありますが、「この時点ではまだ上の身分ではない」という点が要点です。

「うつけ!」と言った佐久間信盛のその後

佐久間信盛は、桶狭間の戦いのあとも、すぐに処罰されたわけではありません。
信長の重臣として引き続き仕え、城の守りや地方支配など、堅実で実務的な役割を任されました。

しかし時代が進み、信長が奇襲やスピード重視の戦いを進めるようになると、慎重派の信盛は次第に評価を下げていきます。
信長から見ると、動きが遅く、成果が見えにくい家臣になっていきました。

そして1575年、長年目立った功績がないとして、信盛はついに信長から追放されることになります。

日和見主義的性格はこうなるのか、と言った見本かもしれませんね。

今川義元と松平元康の関係

松平元康(後の徳川家康)は、当時、今川義元の側にある立場でした。
ざっくり言うと、「今川の配下として動いている武将」と考えると分かりやすいです。

関係を整理すると、次の通りです。

  • 元康は今川の命令で動くことがあります(兵糧入れ、砦への攻めなど)
  • 立場としては、今川の勢力の中に組み込まれている状態です
  • その後、状況が変わり、元康は独立へ向かっていきます

つまり桶狭間の時点では、義元と元康は「主君側と、その指示で動く側」という関係として説明できます。